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山村浩二(やまむら・こうじ)
1964年名古屋市生まれ。東京造形大学絵画科卒業。多彩な技法で短編アニメーションを制作。『頭山』がアニメーション映画祭の最高峰、アヌシー、ザグレブ、広島をはじめ6つのグランプリを受賞、第75回アカデミー賞にノミネートされる。また『カフカ田舎医者』がオタワでグランプリを受賞。国際的な受賞は40を越える。代表作は他に『カロとピヨブプト』『パクシ』『ジュビリー』『年をとった鰐』など。20ヵ国以上で回顧上映、世界各地で審査員、講演多数。主な著書に『アニメーションの世界へようこそ』(岩波新書)、『ヤマムラアニメーション図鑑 改訂版』(演劇ぶっく社)など。ヤマムラアニメーション代表。
ヤマムラアニメーションHP=
http://www.yamamura-animation.jp/
山村さんのアニメーションへの興味のきっかけはなんだったんでしょうか。
小学生のころ、赤塚不二夫さんの「もーれつア太郎」のアニメが放映されていたんですが、近所の駄菓子屋さんでそこに登場するニャロメの印刷されたメンコを見て、ここに描かれた絵が動くはずがないのに、テレビの中では動いているってことを不思議に思ったのがきっかけです。両親に聞いたら「ぱらぱら漫画だよ」と言われたんだけど、それじゃあ紙がぱらぱら落ちるところが映っちゃうじゃない、と。その疑問がとけたのが中学2年生のとき。『アニメージュ』のコラムで、フィルムに1枚ずつコマ撮りで定着させるっていう原理がわかったんです。
さっそくつくったのが、蹴飛ばした空き缶が画面の反対側から戻ってきて頭にあたるとか、短いギャグを何個か連ねたショート・シリーズ。セルアニメーションでつくりました。2本目が台所のやかんとかカップに、粘土で目をつけて動かすという立体アニメーション。もう1本はオリジナル・ストーリーでちょっとSFっぽいもの。水彩画で人類の滅亡を描いた、すごいのをつくっていました。フィルムは現像していますけれど、極秘資料です(笑)。
「カフカ 田舎医者」
シネカノン有楽町1丁目ほか絶賛上映中
http://www.shochiku.co.jp/inakaisha/
はじめてつくった作品で、すでにいろいろな方法を試しているんですね。
作品がどういうふうにできるのかっていう、仕組みと制作過程に興味があるんです。だからこんな画材を使ったらどうなるかっていうことを、自分自身がまずやってみないと気がすまない。つくる側のいろいろなことっていうのは、子どものころから意識していて、小学生のときに漫画を描き始めたのも、『赤塚不二夫のマンガ家入門』の影響です。インクを使ったりペンを使ったり、カラス口はどう使うとか、そういうことにすごくわくわくして、子どもながらにプロ気取りで真似ていました。羽ぼうきとか、買える範囲で道具も揃えたりしていました。
つくったものは上映されたんですか?
中学校の学習発表会で発表したんですが、みんな相当びっくりしていたし、先生もかなり驚いていました。やりだすと徹底的にやらないと気がすまないというところがあって、音楽までつくっていたんですよね。作曲して、音楽室で録音をして。録音といったって、ラジカセで“がちゃん”っていうレベルですけれど。ほんと、いま思えばよくつくったな。
中学ではほかにどんなことに興味があったんですか。
陸上部に所属しながら、漫画も描けばアニメーションもつくり、じつは実写も何本かつくりました。高校受験をテーマにしたオリジナル・ストーリー。受験するときにそんなものをつくっててどうするんだって感じなんですけど。原案、監督は自分がやって、役者は友だち。
漫画も、いまでいう同人誌をこのころからつくっていたんですが、かなり早かったと思います。(住んでいた)名古屋でもコミケみたいなものが始まったばかりで、中学生ながらそれに参加したんですよね。ちょうど鳥山明さんなんかが同人誌で描いていたころです。まだまだ上手い人がいっぱいいるんだなぁと思いましたけどね。
その後、高校に入って美術部と陸上部を掛け持ちで。なんでもやりたかったんですね。
中学、高校と寝る時間もなさそうな活動の広さと濃密さですが……(笑)。
部活も毎日欠かさず練習して試合にも出ていましたよ(笑)。で、家に帰ると部屋にこもって漫画描いたり映画つくったり。音楽も好きでバンドを組んだり。
小学生のころから映画もほんとに好きで、なんでもかかるような近所の劇場に通ってました。ゴジラに始まり寅さんから百恵ちゃんの映画、東映まんがまつりやら、なんでもかんでもひととおり観ていたことが、映画の原体験としてあります。本もすごく読んでましたしね。
当時出合った本とか音楽の傾向は、やっぱりいまも引きずっていますし、このころの下地はかなり大きいと思います。
学校の授業以外の、外での勉強が充実していそうです(笑)。
ほんとうにそうですね。高校のときに、人形アニメーションを1本つくりはじめるんですが、キューブリックの『2001年宇宙の旅』のように、クラシックの聞いたことのあるような音楽で構成したいなと考えたんです。でもそれほど音楽を知らないから、バロックから現代音楽までひととおりFMでチェックして。そういうことを、自分で体得しないと納得できないから、凝り性が高じて必然的に勉強できてしまっていたんですね。
そのときは、絵本的な雰囲気をもった人形アニメーションをつくろうとしていたんですよ。たむらしげるさん(click)とか佐々木マキさんとかの影響もあったかな。それにキューブリックとスピルバーグとルーカスを足そうとしていた(笑)。
いま思うとめちゃくちゃですね。好きな周辺物をなんとか落とし込もうとしたんでしょうけれど。刺激を受けたとたんに、同じことをやりたくなっちゃうんですよね。
高校では美術部の先生に影響を受けたそうですが。
美術部の高木先生です。『アニメーションの世界へようこそ』にも書いたと思うんですが、NFB(カナダ国立映画制作庁)(click)のフィルムを観せてくれたんです。そのときに、美術的興味、漫画的興味、映画的興味の集大成のようなかたちで、アニメーションの短編っていうかたちが見えたんですね。高校に入ってからも、実写の映画をつくってみたり、アニメーションをつくってみたりと、いろいろしていたんですが、そこでちょっと意識が変わりはじめました。
美大受験を勧めてくれたのも高木先生です。高3の夏だったかな。先生に言われていなかったら、絶対に美大は受けていなかったでしょうね。
先生からアドヴァイスを受けるまでは、進路についてどう考えていたんですか?
どこか地元の大学で、美術教育みたいなことを学べればいいと思っていました。美術の先生になって、そのかたわらで自分の好きなことを続けていければいいかなと。 高校のころは、アニメーションや映画はとうぜん趣味の世界だと思っていたので、いちおう第一目標は漫画家だったんですけれど。ましてや絵を描くということで食べてくっていうことはできないと思っていたので、具体的に自分が好きでやっていることが職業につながると思っていなかったんですよ。 ただ、油絵科を選んだのは自分の希望です。デザインはそれほど興味がなくて、日本画はあまりに画風が限定されてるような気がして、彫刻でもない、となると、残っているのは油絵。消去法ですけれど(笑)。いかに自分の創作が自由にできるかという自由度のあるほうへあるほうへ……。決め付けたくないところがあるんです。それで、最終的に進学したのが、東京造形美術大学の絵画科でした。
大学ではアニメーション研究会に所属して、在学中から現在につながる作品をつくっていますね。
アニメーション研究会では、フィルムを借りてきて鑑賞する活動を日々行いながら、それぞれ個人制作をするという、完全にNFBスタイルで活動していました。ボレックスの16ミリの機材があったので、プロと同じように制作できたし、そこでラウル・セルヴェの作品(click)だとか、まだ観ていないNFBのフィルムをずいぶんたくさん観られました。ここはひとつ大きいと思いますよ、いまの活動にも直接つながります。
卒業生がアニメーション80(click)っていう自主上映団体につながっていたので、3、4年生になるとそちらの活動にも参加するようになって。大学時代の活動としては、アニメーション研究会、アニメーション80、プラスアルファで、なにかしら上映会をやったりしていました。
そのころは映画にもすごくはまっていて、年間100本から200本まとめて観ていました。同時に映画史を大まかに勉強して、ほんとに、寝食を惜しんで映画を観ることにお金を費やしていましたね。
このころのエピソードはありますか。
大学2年のときに第1回広島国際アニメーションフェスティバルを観に行ったんですね。そこでイシュ・パテル(click)特集を観たときに、自分の方向性として、「これだ」と確信しました。ここでもう決まりましたね、道が。
イシュ・パテルに直接的に影響を受けて、『博物誌』という粘土で絵を描く作品をつくったんですが、翌年には東京でイシュ・パテルのワークショップにも参加できたし、学生作品プログラムの上映で、この作品もイシュ・パテル本人に観てもらえる機会を得られました。
この当時、映画制作のアルバイトをしていたんですが、その仕事の成果として『小夜曲』という写真と立体物のレリーフ状のアニメーションもつくっていて、これらの2作品は、ほんとうにいまの下地になっていますね。
卒業制作は、メタモルフォーゼをテーマにした『水棲』という作品です。映像作品なので、絵画科の先生では判断できないってことで、デザイン科の中川先生についていただいて単位をもらったんですが、すごく評判がよかったんですよ。
卒業制作作品『水棲』より
『博物誌』で試みた粘土で絵をつくって下から光を当てる表現方法を、発展させたかたちで制作
油絵があんまり出てこないですね(笑)。
油絵は、受験と最初のほうの課題ぐらいしかやってないんですよね(笑)。でも、やっぱり予備校や大学の授業で学んだの絵の基礎は、その後にすごく生かされています。いわゆる、プロとしてやっていく上では、サブカルチャー的なものだけでは成り立たないですから。そういう美術の基礎っていうのは、ものすごく大事だと思いますよ。
――小学生のころからの筋金入りの創作意欲で、ものごとの仕組みを理解し制作方法を学びながら完成させた作品の数々。これぞまさに、「実験映像」! 次回、在学中から映画業界でアルバイトを始め、商業アニメーションの制作現場も経験した山村さんが、インディペンデントで作品を制作するに至るまでを紹介します。





